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7月25日(木)
 ビザ発給を決断。受入国は「キュラソー」とする。
 大量発行のためのビザのゴム印を発注。
 ユダヤ人4人に通過ビザ発給。


7月26日(金)
 18人に通過ビザ発給。

7月27日(土)
 42人に通過ビザ発給。
 「キュラソー」ゴム印届く。

7月29日(月)
 千畝、「ビザを発行する」とユダヤ人難民に宣言する。
 ビザ発給121枚。

1940年8月9日発給の通過ビザ

7月30日(火)
 ビザ発給260枚。

7月31日(水)
 ビザ発給146枚。

8月2日(金)
外務省より領事館退去命令

8月3日(土)
 リトアニア、ソ連に併合され、14番目の共和国となる
この日以降、日本国及びソ連政府からも再々の領事館退去命令があったが、これをを無視してビザを書き続ける。

外務省外交資料館に保存されている「杉原リスト」

8月26日(月)
「杉原リスト」に記録されている最後の3人にビザを発給。
 日本領事館閉鎖。これ以降も異動先のメトロポールホテルでビザの代わりの渡航証明書を発給する。

9月5日(木)
千畝一家ベルリンへ向かうため、カウナス駅へ。
ホームでも日本の入国許可証を求めるユダヤ人に渡航証明書を発給し続ける。

現在、外務省保管の「杉原リスト」には2139人の名前が記されている。
その家族や公式記録からは漏れている人を合わせると、杉原が助けたユダヤ人は6000人とも8000人とも言われている。