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杉原千畝人道賞受賞者一覧
(ユダヤ人を救った外交官達)

 以下は、ユダヤ人たちを救い、その功績によりイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」賞を受賞した外交官及び準外交官である。これまでに、杉原千畝を含めて14か国23人(夫人を加えると25人)が確認されている。なお、本リストはサンフランシスコに事務所を置く団体、「命のビザ――正義と高潔の外交官」が作成したものである。

アラッシー・デ・カルバルホ-ギマラーエス・ロサ(ベルリン駐在ブラジル大使補佐官)

ベルリンでのユダヤ人救出活動により「諸国民の中の正義の人」賞を受賞

何鳳山(ホー・フェン・シャン)(ウィーン駐在中国総領事)

最初にユダヤ人を救出した外交官の一人。1938年、ナチスドイツによるオーストリア併合後、同国から逃れようとするユダヤ人に数多くのビザを発給した。フェンは、上官からビザの発給を停止するよう命令を受け、戒告を受けてもいたが、独断でビザの発給を行った。

フランク・フォリー(ベルリン駐在イギリス副領事・ビザ発給担当)

1938年から1939年までに少なくとも3,000枚のビザがユダヤ難民に発給したとイスラエル政府は見ている。当時、イギリス政府のユダヤ人に対するビザ発給は少数に限られていたが、フォリーは、ユダヤ人を助けるためにあらゆる方策を講じた。

ゲオルギ・フェルディナンド・デュックビッツ(コペンハーゲン駐在ドイツ大使館貿易担当官)

デンマークでユダヤ人の国外追放を計画していると知り、地下運動組織に警告した。ユダヤ人の避難場所を確保するために、密かにスウェーデンの首相と会談。デンマーク地下組織は7,000人のユダヤ人の救出活動を組織し、その内の99%を中立国であるスウェーデンに密かに出国させた。戦後、デンマーク駐在大使に任命された。

杉原千畝(コブノ駐在日本領事)

 

ヤン・ズヴッテンディック(コブノ駐在代理領事)

コブノ(カウナス)駐在の名誉領事。1940年7月、「キュラーソー行きのビザ」を考えだし、杉原とともにキュラーソーおよびスリナム行きのビザを発行、6,000人以上のユダヤ人の命を救った。

ジョルジオ・"ホルへ"・ペルラスカ(ブタペスト駐在スペイン"代理大使")

スペイン内戦以後、スペイン国籍が与えられ、1944年の秋に、ブダペストにおけるスペインの隠れ家にユダヤ人約3,000人を保護下に置いた。1944年の12月、大使がブタペストを去った後には、独断で自らを「大使」に任命し、保護通過証の発行。

ヤン・カルースキー(ポーランド国領事)

ナチス占領下のポーランドにおけるドイツの残虐行為に関する目撃報告書を作成。その後、米国へ脱出し、フェリックス・フランクファーター米国最高裁判所裁判官へ報告を行った。米国とイギリス各地で繰り返し講演を行い、ホロコーストからユダヤ人を救出するように圧力をかけた。

アリスティーデス・デ・ソウサ・メンデス(フランス・ボルドー駐在ポルトガル総領事)

3万通以上のビザを発給し、そのうち1万をユダヤ難民に、2万をユダヤ人以外の難民に発給した。何百人というユダヤ難民にスペイン国境の検問所を通過させた。すべてポルトガル政府の命令に反するものであった。その後、政府から解雇されて全財産を失い、1954年リスボンにおいて貧困のうちに亡くなった。1995年11月、ポルトガル政府によって元の地位に復職、人命を救ったとして特別勲章が授与された。

アンヘル・サンズ-ブリズ(ブダペスト駐在スペイン大使)

1944年の夏、ハンガリー・ブダペストのユダヤ人に保護通過証を発行する許可をスペイン政府に求めたが、許可はおりず、独断で保護通過証を発行。ブダペストに隠れ家の設置を許可し、それを保護した。これにより、終戦までに何千人ものユダヤ人の命が救われた。

ホセ・サントニージャ(ベルリン駐在スペイン大使館農業担当官)

ベルリンでのユダヤ人救出に尽力したことにより「諸国民の中の正義の人」賞を受賞。

ラウル・ウォーレンバーグ(ブダペスト駐在スウェーデン公使)

3万人以上のハンガリーのユダヤ人に外交文書を発行し、ナチスがアウシュビッツの死の収容所でユダヤ人を殺害するのを防いだ。ユダヤ人のボランティアとともに、死の行進に強制されようとしていた何千ものユダヤ人を救出した。ブタペスト各地に隠れ家を設置し、ナチスの襲撃から保護した。1945年1月、ロシア側に逮捕され、その後消息を絶った。

ペール・アンゲル(ブダペスト駐在スウェーデン公使)

ハンガリーのスウェーデン大使館を閉鎖せず、ラウル・ウォーレンバーグとともに活動を行った。収容所に連行されようとしていたユダヤ人を救出し、あるときにはナチスの死の行進からユダヤ人を救った。これにより、1994年の春から1945年5月までに、何千人ものユダヤ人の命が救われた。

ラース・ベルグ(ブダペスト駐在スウェーデン領事)

同僚の外交官とともに、ナチスによって国外追放、殺害されそうになっていたユダヤ人を助けた。

カール・イヴァン・ダニエッソン(ブダペスト駐在スウェーデン大使)

ブダペストのスウェーデン大使館の代表として、何千人ものハンガリー系ユダヤ人を救出し保護した。

ヴァルデマール・ラングレット(スウェーデン赤十字社ブダペスト代表団員)
ニーナ・ラングレット(スウェーデン赤十字社ブダペスト代表団員)

1944年6月11日、ブダペスト駐在スウェーデン大使が、ハンガリー政府に対して、スウェーデン赤十字社とハンガリー赤十字社によるユダヤ人孤児に対する救援活動の許可を求めたのを受けて、ハンガリーのユダヤ人にスウェーデンの保護通過証を発行し、ユダヤ人がナチスによって国外追放、殺害されそうになっているのを助けた。

アレクサンダー・カッセル(スウェーデン赤十字社ブダペスト代表団員)

スウェーデン赤十字社ブダペスト副代表であるヴァルデマール・ラングレットの補佐を務めた。

フリードリッヒ・ボルン(スイス赤十字国際委員会ブダペスト代表)

1944年5月〜1945年1月、何千人ものユダヤ人に赤十字社の保護状を発行した。ユダヤ人を収容所や死の行進から救った。ユダヤ人4,000人に労働許可証を与え、国外追放されないようにした。60以上のユダヤ系施設を赤十字社の保護下に置き、7,000人以上のユダヤ人の子供達を保護した。こうして1万1千人から1万5千人ものユダヤ人の命が救われた。

エルンスト・プロドレット・ブレゲンツ(オーストリア駐在スイス総領事)

人命救助活動を認められて、「諸国民の中の正義の人」賞を受賞した。

チャールズ・"カール"・ルッツ(ブダペスト駐在スイス領事)
ゲートルッド・ルッツ(カール・ルッツ領事夫人)

ブダペストのユダヤ人のためにシュッツブリッフ(保護状)を考案し、中立国の外交官として初めてユダヤ人を救った。ハンガリーのユダヤ人8、000人にパレスチナへ移住できるよう保護状を発行する許可をハンガリー政府から得た。8、000の「単位」を個人でなく家族と解釈するという手法を用い、何万もの保護状を発行した。ブダペスト各地に76か所にユダヤ人の隠れ家をつくった。1942〜43年、1万人のユダヤ人の青年らをパレスチナに移住する手助させた。ユダヤ救済協会によると、夫妻のおかげで6万2千人のユダヤ人が救われた。

ハラルド・フェラー(ブダペスト駐在スイス公使)

1944年、赴任直後から、チャールズ・ルッツ領事に協力してユダヤ人の救出に当たる。ユダヤ人の殺害と国外追放をやめるようハンガリー政府に働きかけた。終戦間近に、ブダペストの公使公邸の地下室に数十人のユダヤ人をかくまった。

セラハティン・ウルクーメン(ロードス島駐在トルコ総領事)

1944年7月、トルコ国籍をもつロードス島在住ユダヤ人を救出に尽力し、42家族・200人以上がアウシュビッツ-バークナウへ強制移送されずにすんだ。ナチスは、報復措置として、ウルクーメンの自宅を爆撃し妊娠中の夫人に致命傷を負わせた。

アンジェロ・ジャゼッペ・ロンカーリ大司教(ソフィア駐在外交官、ブダペスト駐在ローマ教皇大使)

ブルガリアのユダヤ人を救うために偽の洗礼証明書とビザを発行し、ユダヤ人はパレスチナへ渡航することができた。その後ブダペストのバチカン外交団の代表に就任。1万5千通以上の安全通行券をユダヤ人に発行。強制労働収容所、ユダヤ人移送所、死の行進にいたユダヤ人にも洗礼証明書と安全通行権を発行した。ブダペスト各地に隠れ家を設立し、自らユダヤ人の保護にあたった。